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勉強お役立ちコラム

2019.04.10

【歴史コラム】鎌倉幕府の成立はいったい何年か?

 

平成31年4月1日(月)、翌月から使われる新元号が「令和」と発表されました。筆者はギリギリ昭和の生まれであるため、昭和から平成への改元があった頃はまだ幼く、記憶にありませんでしたから、今回の新元号発表は少し感慨深いものがありました。いい機会ですので、「時代の転換点」という意味で近年議論されている歴史上のことがらについて、お話ししましょう。

 

■“いい国”か“いい箱”か

 

いい国つくろう鎌倉幕府。
1 1 92

 

誰もが一度は聞いたことのある、超有名な年号の語呂合わせです。ところが近年、「鎌倉幕府の成立年は、実は1185年だった」という主張が幅を利かせるようになりました。

 

中学校の歴史教科書(帝国書院版)には次のような記述があります。

 

「1185年、国ごとに守護を、荘園や公領に地頭を設置しました。頼朝は、1192年に征夷大将軍となり、武士による新しい政治を始めました」。

 

1185年支持者の根拠となっているのが前半の部分です。すなわち、鎌倉幕府の基本的な機能は1185年にすでに完成しているし、同じ年に平家も滅ぼして、この時点で実質的に頼朝の天下となっているのだから、鎌倉時代の始まりは1185年なのだ、というわけです。

 

そう言われるとそんな気もしてきます。しかし、筆者はこの主張に異議を唱えたいと思っています。というのも、この話題を論じるにはまず、「“幕府”とは何か」という問いについて考察する必要があるのです。

 

■「幕府」の定義
手元にある国語辞典の説明には以下のように書かれています。

 

「幕府:(中国で、出征中の将軍の幕営を称したことから)武家時代の将軍の居所・陣営。転じて、武家政治の政庁。また、武家政権」。

(学研『現代新国語辞典 改訂新版』金田一春彦編)

 

また、電子辞書版百科事典『マイペディア』には、次のような記述があります。

 

「本来、中国で出征中の将軍の幕営をいい、日本では近衛府の唐名で、転じて近衛大将やその居館をいった。1190年、源頼朝が右近衛大将に任ぜられ、やがて辞退したが、その居館が幕府と呼ばれ、以後武家政治の首長の居館は近衛大将の官と関係なく幕府と称された」

 

このように、「幕府」とはすなわち「将軍のいるところ」という意味であることがわかります。ということは、「将軍」がいなければ「幕府」とは言えないことになり、ゆえに源頼朝が「征夷大将軍」に任命された1192年が意味的に正しいということになり、したがって1185年説は否定される、ということになります。

 

いかがでしょう。理路整然と言われると、そんな気がしてきませんか。しかし、そもそも時代の区分というものは、後世の研究者が便宜上設定しているのに過ぎません。重要視されるのは「政治の中心がどこにあったか」だけです。

 

■歴史の“連続性”
さて、長々と語ってはみたものの、正確に〇年から〇年までが××時代、と区切って考えるのは、実はさほど意味のないことです。元号が昭和から平成、さらに令和に変わろうと、その瞬間に何かが劇的に変わるわけではないのと同じで、ある年のある瞬間から平安時代が鎌倉時代と呼ばれるようになったところで、人々の日常は相変わらず続いていきます。歴史を学ぶ上で大切なことは「何年に何が起きたか」であって、「何年から何年までが何時代」ではないのです。歴史とは連続的なもので、時代ごとにぶつ切りに覚えていても、残念ながらその本質をつかむことはできません。個々の出来事は「点」であり、それらを「線」でつなぐことができて初めて、歴史のおもしろさが見えてくるのです。

 

改元は一つのきっかけです。この機会に、長い長い日本の歴史に思いをはせてみるのも良いかもしれません。