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勉強お役立ちコラム

2020.06.10

安積疏水(郡山市)の歴史から学ぶ希望!

みなさん、自分が住んでいる市町村のことをどれくらい知っていますか?

 

今回は福島県郡山市からお届け。「安積疏水(あさかそすい)」をご紹介します。

郡山市内にお住いの方であれば、一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。皆さんといっしょに「安積疏水」について簡単に振り返ってみたいと思います。

 


もくじ

1、安積疏水って何?

2、重要人物

(1)中條正恒(なかじょうまさつね)

(2)ファン・ドールン(Cornelis Johannes van Doorn)

3、未来へむけて


 

猪苗代湖の水を郡山の安積原野へ引こう!

 

1、安積疏水って何?

 

まず「疎水」という言葉は「運送、給水、発電などの目的のために土地を切り開いて作った水路」という意味です。 つまり、安積疏水とは郡山市に水を引き、土地を発展させる計画のこと。

 

もう少し詳しく説明すると、明治時代初期までの郡山市は降水量が少なく、枯れ果てた土地が広がっていました。 そこで大きな湖である猪苗代湖から郡山市まで水を引く計画が立ち上がります。

 

当時、福島県典事(現在の課長)だった中條正恒(なかじょうまさつね)が郡山市の開拓を計画し、ファン・ドールンが政府に計画を決断させて、 1879年に安積疏水の建立がスタートしました。 延べ85万人の労力と総工費40万7000円(現在の約400億円!)をかけて、130kmに渡る水路が僅か3年間で完成したのです。

 

その後、水力発電所が設置され、郡山市ではその電気を使った製糸業が発達しました。 飲用水としても使えるようになった安積疏水の水は開拓が進み、人口が増えていく郡山市を支え続けています。

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2、重要人物

 

(1)中條正恒(なかじょうまさつね)

江戸時代〜明治時代に活躍した開拓事業者で、幕末はなんと武士(!)でした。

 

明治時代になってから北海道の開拓を夢見て、蝦夷地(えぞち。現在の北海道)へ行きましたが、断念して帰ってきてしまいます。

 

その後、福島県典事(てんじ。現在の課長職)となって、蝦夷地で果たせなかった開拓の夢を見事に郡山の安積疏水で果たします

 

開拓後は島根県、東京都と移り住みましたが、 安積疏水に感激した郡山市の住民たちに「ぜひ戻ってきて欲しい」と誘われ、 最後は福島県郡山市南町(現在の開成山公園の近く)に移住し1900年まで余生を過ごしました。

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(2)ファン・ドールン

オランダの土木技術者です。

 

35歳の時に来日し、利根川、江戸川の水位観測や信濃川、木曽川の視察、オランダから来た土木技師団のリーダーとなりました。 この活動の途中で郡山市を訪れ、一帯を調査し安積疏水の計画を政府に決断させたのです。

 

安積疏水を調べる上で必ず名前が出てくるファン・ドールンですが、実は郡山市には2週間くらいしかいなかったそうです。 43歳でオランダに帰国し、亡くなった後にその功績をたたえて銅像が建立されました。

 

この銅像にはエピソードがあります。第二次世界大戦のとき、金属不足を解消するためにこの銅像を提供することが求められたのですが、何者かに盗まれたことにして(!)山へ埋めて隠したという内容です。終戦を迎えたあとに掘り出して再建されたことが、「かくされたオランダ人」という本に描かれています。 

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3、未来へむけて

 

いかがだったでしょうか? 今は大きな郡山市ですが、現在の発展があるのは「安積疏水」のおかげといっても過言ではないと思います。

 

枯れ果てた土地を開拓するというのは、かなりの労力やお金がかかります。 今回は紹介できなかった重要人物もたくさんいます。

 

ちなみに、私は「阿部茂兵衛(あべもへい)」さんが好きです。 興味を持った方はぜひ調べてみてください!

 

 

「安積疏水」を完成させたのは、中條正恒やファン・ドールンの力だけではありません。たくさんの人の助けがあってのことです

 

今、新型コロナウイルスによって世界中が大ダメージを受けていますが、今の状況を乗り越える鍵も同じではないでしょうか?

 

「安積疏水」を完成できたように、(密にならないように)たくさんの人が力を合わせれば、きっとウイルスに打ち勝つことができるはずです! 

 

みんなで力を合わせて、一緒に乗り越えていきましょう!! コラムを見ていただきありがとうございました。

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